これまでの人生でゆるせない相手が一人もいないって本当?

昔のことであれ、最近のことであれ、ゆるせない相手が心の中に存在し続けるというのは、気分の良いものではありませんよね。普段あまり意識していなかったとしても、ゆるせない出来事が潜在意識に残ったままというのは、思った以上に影響が大きいものです。そこでゆるしを行うということが、有効になってきます。

ゆるしとは、自分の中にある怒りや悲しみなどのネガティブ感情を手放すこと。

ゆるせない相手へのこだわりを手放し、イライラしたり無駄なエネルギーを消耗したりするのはやめて、自分の人生に集中できる状態にすることが、いわば目的になります。

ですから相手のためにするのではなく、何より自分の心を楽にしてあげるため、自分を自由にするために行うのが、ゆるしであると言われています。

そしてゆるせない相手というのは、実は自分の人生の青写真を紐解くためのヒントにもなります。これまでの人生で、ゆるせないと思った相手や出来事を思い出してみることで、見えてくるものがあるんです。

これはある女性クライアントさんに、12ステップコンサルティングの中で、ご自身の人生をふり返っていただいた時の話。いくら考えても、ゆるせない相手が思い浮かばないご様子でした。中学生の時に、クラスメートからいじめを受けたと聞いていたので、私はてっきりその相手が出てくるだろうと思っていました。ところがそれは自分にも問題があったと思うから、仕方がないとおっしゃいます。話をしているうちに、どうやら誰かをゆるせないと思ったり言ったりすること自体に、抵抗があるようだとわかってきました。そしてその原因も見えてきました。


いじめをお母様に打ちあけた際に、「行為を憎んで人を憎むな。」と教えられたのが強烈に残ってしまい、誰かをゆるせないと思うこと自体、いけないのだと思い込まれていたのです。

お母様は、良い話は快く聞いてくださるけれど、悪口や愚痴は受け入れてくれなかったといいます。本当の気持ちを話せなくなり、特にネガティブなことは思うのも言うのもダメなのだと思われたクライアントさんは、聖人君子にあこがれるようになりました。

「行為を憎んで人を憎まず」という考え方も、聖人君子にあこがれるのも、間違ったことではないとも思います。でもこの現実世界において、誰も憎まず聖人君子として生きるというのは、実際には難しいのではないでしょうか。

いじめられたのは自分にも問題があったと思われたのも、自己責任で生きているので素晴らしいともいえます。けれどそれは、適切にできていればの話。実はここに、落とし穴がありました。自己責任というよりも、自分はいじめられても仕方のない存在だととらえてしまったクライアントさんは、「低自尊心」と「自分に対する無価値感」を、大人になってもずっと、無意識に持ち続けていたのです。

無意識にしても意識的にしても、こうしたセルフイメージの低さというのは、人生に多大な影響を及ぼします。

ご自身の本当の気持ちに気がつかれたクライアントさんは、ワークの中で、自分をいじめた相手ときちんと向き合われ、残っていたネガティブ感情を手放されました。いじめられたことと自分の価値は無関係であり、聖人君子にならなくても、あるがままの自分にすでに価値があること、無条件に自分を愛していいということを、あらたに認識されました。

ゆるせない相手がいるのを認め、ゆるせない理由を見つけ出して、ゆるしを行うことは、何より、自分自身へのプレゼントなのです。

 

※クライアントさんの実例は、許可を得た上で、掲載させていただいております。
すでに12ステップコンサルティングを卒業されたこの女性クライアントさんからは、「以前の私のように、セルフイメージが低いことで生きづらさを感じている誰かの目に、どうぞとまりますように。」という素敵なメッセージもいただきました。
 

・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。


☆驚きの手法でゆるしと解放を行うセッションはこちら!

12ステップコンサルティング


☆ゆるしと解放&自分を愛したい方はこちら!

脱!自己否定ちゃんコース 

2017年05月31日 | Posted in ゆるし | タグ: , , Comments Closed 

関連記事